両親は仕事が忙しかったですし、言葉で“しつけられた”という感じではなかったです。しかし、両親から言われ続けたことは“他人に迷惑をかけてはいけない”“出したものは元の場所に戻す”ということでした。子どもでしたので人前で騒いでしまうこともありましたから、そのような時には、怒られました。あとは、他人を押し退けて先にバスに乗ってはいけない、食事の時に騒いではいけない、使ったものは元に戻しなさい、など何度も何度も言われましたね。人の「気持ち」を考え、人に迷惑をかけるような行動はしてはいけない。親が言う言葉にボキャブラリーはありませんでしたが、正直に話すことを教えられました。当時はそのような小言にわずらわしさを感じながらも、生活訓をしっかり身につけたことで、成人になってからの日常生活、また海外生活中でも困ることはありませんでした。
父は口数が少なく厳格な性格で、怒ると怖かったことを覚えています。生死に関わるような危ないことをすると叩かれました。川遊びで溺れそうになった時でした。そんな父の仕事ぶりはいつも近くで見ていました。父は商売を営んでおり、非常に仕事熱心な人でした。お客様に対して商品の説明をしたり、人に対して親切に対応する姿を見て、なかなかやるなと子どもながらに尊敬していました。私も走り遣いや届けものなど店の手伝いをする中で、お金のやりとりを実践的に学ぶことができたと思います。手伝いがきっちり出来て褒められた時は「ヤッタ!」という気分でしたね。
自家営業でしたので、食事はほぼ毎日家族で一緒に食べていました。しかし、お客様の都合でご飯が遅れ、冷めたご飯を食べたり、お客様が来ると父母は食事の途中で席を立たなければならないということもしょっちゅうでした。しかし子どもたちは文句は言いません。お客様にいくらで売ったらいくら儲かって、値引く、値引かないという駆け引きなどが家計に直結しているということを知っていたからです。それでご飯を食べて私たちも学校へ行くことができる。寝る間も惜しんで働く両親の姿から、働かないと食べていけないという現実を子どもたちも自然と理解していました。
母は大らかな性格の人で、いつも元気でした。あまり細かいことを言う人ではありませんでしたね。母も商店の仕事を手伝っていましたし、もちろん家の中の事もこなしていました。姉と妹がいましたから母親に甘えた記憶はそんなにはありません。ただ、水に濡れた長靴を履いて雪まみれの私を見て「風邪をひく」と身体を温めてくれたことが記憶に残っています。危険なことをした時には父にも体罰で叱られたりしました。そういうところから子どもは眼には見えない両親の温かい気持を感じることもあるのでしょうね。
高校生時代、憧れていた英語の先生がいたんです。英語を通じて世界を知っている先生がかっこよくて、先生の家に入り浸って、いろいろなことを教えていただきました。英語を話せたら、自分の知らない世界が広がる、自分たちとは違う世界を知ることができる。その時から「英語で生きていきたい」というのが私の夢になりました。英語は自らすすんで勉強し、成績はとても良かったです。その後、モーパッサンの本を読んで感動し、フランス語にも興味を持ちました。大学ではフランス語科に入りました。大学の授業では先生に舌のおきかたを口の中まで見られ、発音の仕方をたたき込まれました。外国語の習得は、どれだけたくさんその言葉を聞き、話すかが重要だと私は思います。本当に慣れだと思いました。あとはやはり、正しい日本語が身に付いていなければ正しく話せないし、翻訳はできないのだ、と感じました。
“英語”で生きて行くために、いつしか、大学に行きたいと思うようになりました。当時は大学に行く人は少なく、なおかつ上京して大学に進学する人はごくわずかでしたね。
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| 2008年6月掲載 | |||||||

