母に怒られた記憶はあまり無いですが、おそらくしっかり者の兄が、先に私を制していたように思います。母は困っている人に対して大変優しい人でした。うちも決して裕福ではありませんでしたが、母はお金が無くて困っている人に無償で部屋を貸していました。母の持つ優しさを子どもながらに感じることができたんです。そのような姿をこの眼で見ていたので、自然に“人には優しくするものなのだ”と学んだように思います。しつけとは「〜しなさい」ではなく、親の行動を見て学んでいくものなのかもしれませんね。親が実践できていれば、「〜しなさい」と言う必要が無くなってくるのではないでしょうか。
ある時、ふとしたことから友達に怪我を負わせてしまったことがあり、夜に母とふたり、怪我をさせてしまった友達のお宅まで謝りに出かけました。その時母は、床に頭をこすりつけるようにして先方の親に謝罪したんです。子ども心に、態度の悪い先方の親に対して、何故そこまで謝らなくてはならないのかと思う気持ちもありました。しかし、あの時、言葉で怒られただけだったら、おそらく反発心しか生まれなかったと思います。私のために、必死に頭を下げて謝る母の姿を見て、“自分は悪いことをしたんだ。こんなふうに母を悲しませてはいけない”と悟らされました。言葉で叱られるよりも、あのような母の姿を見せられるほうが、よっぽどこたえました。
家の中で卓球をしたりフラフープをしたりする時などは、常に母親も入って家族全員で遊んでいました。子どもだけで遊んだ記憶が無いほどです。母親はまるで、大きいお姉さんのような存在でした。私は苦労している親を見ながら育ちましたので、将来必ず、親に喜んでもらうんだ、という強い信念のようなものがありましたね。我が家はとりわけ家族の結びつきが強かったように思います。
高校2年の文理選択のクラス分けで、いつの間にか就職コースに進んでいたんですよ。このままいくと自分は高卒後就職になってしまう、と気付き、焦りました。自分も大学くらいは行きたいと強く思いました。兄も国立の大学に進学していましたし、親にお金の苦労をかけたくありませんでした。それからはがむしゃらに勉強しました。そうして成績があがってくると、自分に対する先生の態度や、言葉が変わってきて、信頼され期待されていることが伝わってきました。それが嬉しくてたまらなくて、ますますやる気が出てくるんです。“褒める”という行為は、その子を伸ばす最適な方法だと思います。
| |||||||
| 2008年6月掲載 | |||||||

